グローバル時代の新しい現実

「グローバル時代」の第二幕、そして新しい現実

日本がまだ世界第2位の経済大国だった時代、英語が下手であっても、「日本人」であれば話を聞いてもらえた。消費者マーケットとして巨大さ、家電、車を中心とした貿易国としての重要性、そうしたことから、日本人の英語がどれだけ下手でたどたどしくても、海外のビジネスパーソンは「日本人」と話をしたがった。しかし、もはやGDPは中国に抜かれ、世界経済の中での相対的な重要性は下がる一方。日本は世界にあまたある「先進国」の一つに過ぎない存在になりつつある。その結果、向こうから歩み寄って、「日本人」の英語下手を我慢しながらも話してくれていた時代は過ぎ去り、逆にこちらから歩み寄り、積極的に「日本」、「日本人」というものを売り込んでいかなければいけない時代に突入した。そんな時代、海外と何らかの関係を持つビジネスにおいて、英語で潤滑にコミュニケーションできないというのは、致命的である。

日本の相対的な力の低下は、海外でMBAを取得する日本人留学生の数が減ったことからもわかる。欧米のビジネススクールにおける日本人の数は、90年代と比べると、半分、もしくは4分の1程度まで減っているケースもある。最近では、韓国、台湾からの留学生と日本人留学生の数が同じくらいだったりする。日本の人口は1億2千万人、韓国は5千万人、台湾は2千万人くらいだから、人口に対し、いかに日本の留学生が少ないかがわかる。

ビジネススクールでは学年に占める留学生の割合は大体一定だから、他の国からの留学生が増えれば、当然日本人の数は減らされる。日本人の数が減っている理由は、日本以外の国の重要性が増し、またそれらの国から受験してくる優秀な人間が増えた、という点が理由だろう。日本人の若手ビジネスパーソンの英語力が大幅に低下したり、海外で学ぼうとする意欲ある人が激減した、ということではなく、相対的に、他国の競争力が上がっている、そういうことだ。つまり、他国が競争力を増している時代に、現状を維持するだけでは、日本の「相対的」な競争力は下がる一方だ。

では、日本のビジネスパーソンの英語力はというと、他国と比べて圧倒的に低いと言わざるを得ない。より正確に言うならば、英語を使って第一線で仕事ができるビジネスパーソンの数が、他国と比べて圧倒的に少ない。その理由は教育制度や日本語と英語の言語としての親和性の低さ、などの複数の要因かあるだろうが、そもそも、英語を本気で身につけるインセンティブが小さいことが理由として大きいだろう。国内市場は、日本の取引慣行や日本語という「参入障壁」によって守られ、英語ができなくても収入の良い仕事はいくらでもある。外資系企業の日本法人などでも、日本市場の大きさから「治外法権」的な扱いを許され、グローバルのオペレーションからある程度、独立して経営することができ、外資であるにも関わらず、一部の人間を除けば英語の必要性はそれほど高くなかった。

しかし、今、その前提条件が変わりつつある。日本の市場としての魅力が下がり、日本は「特別扱い」されなくなっている。そして、日本の「独自性」を盾にして「既得権益」を守ることではもはや企業の利益、個人の収入を上げることは難しくなりつつある。今求められるのは、「独自性」の非効率な部分は壊しながら、グローバルで情報、人材とオープンにつながり、自分たちから積極的に発信していく「攻め」の姿勢に転換することだろう。例えるならば、今までまとっていた「経済大国日本」という鎧を脱ぎ捨て、裸の自分になったとき、どう戦うか、ということだ。

日本の経済力という後ろ盾に頼ることなく、日本も各国の「One of them」であるとまず認識し、そのうえで、個々の力で勝負していく、そんな「真のグローバル時代」が到来した。そして、その「真のグローバル時代」においては、ビジネスの共通言語である英語は必須である。ビジネス英語ができなければ、そもそも、勝負の土俵にあがれないのだ。逆に、本物のビジネス英語力を身につければ、「真のグローバル時代」では一気に世界で勝負することもできる。ビジネスパーソンとしての自分の可能性を世界に向かって解き放つか、国内にとどめるか。それはあなた次第だ。

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